第一哲学 (音楽とは何なのでしょう?)
人は音楽を聴かなくても生きていけます。それにもかかわらず、生活の至るところに音楽が存在し、音楽を聴いて涙を流したり、狂喜したりする場面を目撃します。なぜ音楽はこれほど人の心を動かすのでしょうか?これは私が長年抱いてきた疑問でした。あるとき、スティーヴン・ミズンの著書『歌うネアンデルタール』を読み、その中で人間の音楽の起源について次のような説明がありました。
「初期ホミニドには『Hmmmm』というコミュニケーション方法があり、音楽は言語が進化した後、そのHmmmmの残骸から生まれた。」
これだけではわかりにくいかもしれませんが、この「Hmmmm」は以下の特徴を持つとされています。
H: Holistic(全体的)
m: Multi-modal(多様式的)
m: Manipulative(操作的)
m: Musical(音楽的)
m: Mimetic(模倣的)
つまり、言語を使う以前の人間は、現在のような複雑な文法ではなく、全体的な意味を持つ発声で、怒りや喜び、警戒などの感情を表現していました。この発声は、他者を操作したり、リズムやピッチを伴う音楽的な要素を持っていたり、親や仲間から模倣によって伝えられるものでした。
スティーヴン・ミズンは、言語が進化した後もHmmmmは完全には消えず、言語コミュニケーションと結びつきながら音楽として残ったと述べています。
私自身、猿の研究をしたことはありませんが、自然界の動物にもこのようなHmmmmに似たものがあると感じます。例えば、職場の裏にあるカラスの巣を観察していると、カラスの鳴き声は親に似ているように思えます。特定の鳴き声で仲間を警戒させたり、興奮させたりする様子を見ると、初期ホミニドも同様のコミュニケーションをしていたのではないかと想像します。
例えば、戦いの前に仲間を鼓舞する発声や、死者を悼む悲しみの発声、収穫を祝う喜びの発声などがあったのではないでしょうか。また、二足歩行をする人間にとってリズムは重要で、体を動かしながら心を共有する手段だったと推測されます。このHmmmmの進化により、ネアンデルタール人よりも優位に立った可能性も指摘されています。
Hmmmmは個人の生活には必須ではありませんが、社会生活において重要だったと考えられます。例えば、誰かが発声すると他者もそれに応え、合唱が行われる。その過程で特定の音程が共鳴し、一体感が生まれるという現象があったのかもしれません。群れで生活するホミニドには、心の一部を共有する必要性があったのではないでしょうか。
音楽を理解する上で、「操作的」であるという点は重要です。言葉で「興奮しろ」や「悲しめ」と命令しても感情を動かすことは難しいですが、Hmmmmにはそれが可能でした。この操作性は、進化の過程でさまざまな感覚と融合し、現在の音楽やパフォーマンスに影響を与えています。
例えば、ジャニーズのパフォーマンスを見て興奮するファンの姿があります。歌、踊り、カリスマ性(衣装や雰囲気を含む)といった要素が鍵となり、それらが揃うことで感情が解放される仕組みになっているのだと思います。音楽は単なるメロディー、リズム、ハーモニーだけで語れるものではなく、表現者の持つ無数の要素が絡み合って人の心に作用します。
特に若者は「ダサい音楽」を避けますが、では「ダサい音楽」とは何でしょうか?音楽の印象は聴覚だけでなく、演奏者のビジュアルや楽器の演奏法、歌詞の内容など、多くの要素に影響されます。表現者がどれだけ他人の心を動かす「鍵」を作れるかが問われるのです。
音楽の本質とは、群れで生活する中で心を共有し、他者を操作する手段として進化してきた名残なのかもしれません。この術を自在に使えれば、音楽によって人の心を支配することさえ可能なのではないでしょうか。
ちなみに、現代の音楽の3大要素を挙げるとすれば、「聴覚」「ビジュアル」「時代」だと私は考えます。